ローマ初の公共の泉で、1572年に作られました。
この泉は、ローマの泉の多くを手がけた、デッラ・ポルタの手による、最初の泉の設計です。
なぜポポロ広場かというと、ポポロ広場は北からの旅人がローマを訪れた時に、最初に通る門であったからと考えられています。
ただし、現在はこのポルタの泉をポポロ広場で見ることはできません。
もともと泉があった場所には、現在巨大なオベリスクとその足元に鎮座するライオンたちに取られてしまったのです。
現在は、ニコーシア広場で上記の泉は見ることができますが、オリジナルは下の水盤のみとなってしまいました。
もとの姿は、カリチェ(酒杯)型と呼ばれる形で、水を噴出す酒杯の部分と、その水を受ける八角形の水盤でできていました。
上部の水盤には、下から見える縁の部分に二羽の鷲と二羽の竜の浮き彫りが施されており、その間に4つの花の浮き彫りがあります。
そこから水が流れ落ちてくるのです。
酒杯の支柱の上に4頭のイルカが彫られていて、イルカは頭を上部に向け、口を大きく開き、尾を絡み合わせています。
下部にある八角形の水盤は、縁の高さが腰まであり、水盤の下には石段が3つあり、水を汲むためにはこの段を上るようになっていました。
この泉は、優美でも仰々しくもありません。
限りなく実用的に設計されています。
なぜなら、泉はかなりの水量を蓄えていながら、その水を汲むのに、腰の高さに縁があるので、不自然な力を必要としないからです。
そして、当時は泉の水を飲むのは人間だけではありませんでした。
馬や牛、羊なども水を飲みます。しかし、腰の高さまで縁があれば、水が汚れる心配もありません。
完璧に実用性を重視した設計だと思います。
実は、この泉のために4体のトリトン像をポルタは彫らせたのですが、彫像が大きすぎて、泉の下部の水盤とつりあいが取れなかったため、この彫像はナヴォーナ広場の南側の泉(モーロ泉)に流用されたそうです。
泉の建築家:ジャコモ・デッラ・ポルタ
1532-1602
教皇グレゴリウス13世(在位1572~85)の治世下で泉の制作を多く任された人物。
1563年、25歳にしてトレヴィの泉の修復を任されるなど、すでに卓越した才能に恵まれていた。
そして26歳にはフォロ・ロマーノの西側にあるヤヌスの門付近に長さ60mに及ぶ長大な泉を作り、ヴェルジネ水道の敷設工事にも建築家として携わる。
デッラ・ポルタにとって、泉とは建築家として自己を形成し、成長させるとても重要なものだった。




