中世に整備された市内に散らばるこれらのオブジェクト。刻まれた碑文を読み解くことはできなくても、それらが果たしている役割を垣間見たいとは思いませんか?
Obelisque(フランス語)オベリスクの語源はギリシャ語の「オベリスコ」から来ています。本来は「串」を意味するそうです。
ほとんどのオベリスクは、継ぎ目なしの花崗岩の一枚岩から切り出したもので、初めに岩の三面を切り揃え、最後に第四面(裏側)を粗く削り出していきます。
四角形の断面による方形をしていて、上方に向かって徐々に細くなり、先端の尖った部分はピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)になっています。
創建当時、この尖塔部分には、金や銅の薄板が被されていて、一番最初に夜明けの光を受けるところから、そこに「太陽神が宿る」と古代エジプト人は考え、オベリスクを太陽神のシンボルと見立てたのです。ほとんどのオベリスクは、本来高く長い白い石柱の方尖塔をしていたといわれています。
数多くのオベリスクがエジプト王国から新興ローマ帝国へ戦利品として略奪され、搬出されて来たことは、知る人も多いでしょう。
「永遠の都」ローマの繁栄にこれらのオベリスクは大いに華を添えたのですから。
次代のローマ皇帝は50本のオベリスクを持ち出したといわれております。
(その中でも現存しているものは、ローマに13本、フィレンツェに1本、イスタンブールに1本だけとされています。)
ローマ帝国が滅亡し、ナポレオンによるエジプト遠征をきっかけに、オベリスクは再び注目を集めました。
19世紀以降は、パリ(フランス)、ロンドン(イギリス)、キングストーン・レイシー(イギリス・ドルセット州)、ニューヨーク(アメリカ)に、それぞれ一本づつ再建されました。
20世紀末には、古代エジプトの神殿に創建当時のままの姿で残っているオベリスクはほんの数本しかなくなり、代わって欧米の公園や広場の装飾品とされて目に映るものがほとんどを占めました。
ただし、今日見られるオベリスクの中には、一枚岩で作られたものであっても、模造品(レプリカ)も多く存在するので、その点も特筆しておきます。
現在見ることのできる、野外に立っている大型オベリスクは全部で30本とされています。
・ エジプト 7本 ・ ローマ 13本 ・パリ
・ フィレンツェ ・ ウルビーノ (イタリア中部) ・カタロニア(シチリア島)
・ ロンドン ・ ニューヨーク ・イスタンブール
・ ウインボーン(イギリス南部) ・カイザリア(イスラエル) ・ アルル(南仏)
■ 大聖堂巡礼
ルネッサンス当時1500年代、ローマには方々から多くの巡礼者が集まりました。
時の法王シクストゥス5世は、数々の都市計画を行った法王として有名ですが、その偉業の一つが「巡礼路の指標とすべきオベリスクの充実」です。
【当時の巡礼路】
フラミニア門(現ポポロ門)で入国許可 → (サンタンジェロ城前の橋) → 聖ピエトロ大聖堂 → (元老院橋・アヴェンティーノ丘・聖パオロ門) → 聖パオロ大聖堂 → 聖セバスティアーノ大聖堂 → (元の道へ引き返し聖セバスティアーノ門くぐり城壁内へ) → 聖ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂 → 聖クローチェ・イン・ジェルザレンメ大聖堂 → 聖ロレンツォ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂 → 聖母マリア・マッジョーレ大聖堂
この「オベリスク」メニューでは、今日ローマで見られるオベリスクを中心にご案内させていただいております。
