Egypt

エジプトとは

エジプト・・・5千年もの歴史を持つ国。
深いですぅ!太陽、月、地上の植物、生物・・・すべてを支配する神々達が住まうと言われているエジプト。
私達が知る歴史以上のロマンと悠久の歴史を持つ国ですね~。
壮大な人類の英知と創造、未だ解明されていない数々の謎に満ちた歴史は、私達日本人をはじめ、諸外各国の旅人が一度は訪れたいと願う国のトップ3圏内常連国。

「すべてはナイルによってもたらされた」
その言葉を裏付けるかのように現在も次々と発掘される古代文明の遺跡の数々。

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船内の食事はおいしいし、寝て起きたら寄港地♪というのは、旅人にとって嬉しいポイントですよね!(^^)v

エジプト観光地図

エジプト観光局のHP

エジプトの気温と平均気温

エジプトの気温と降水量

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エジプトの歴史

「エジプトはナイルの賜物」という古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉で有名なように、エジプトは豊かなナイル川に支えられて世界四大文明の一つである古代エジプト文明を発展させてきた。エジプト人は紀元前3000年頃には早くも中央集権国家を形成し、ピラミッドや王家の谷、ヒエログリフなどを通じて世界的によく知られている高度な文明を発達させた。3000年にわたる諸王朝の盛衰の末、紀元前525年にペルシアに支配され、紀元前332年にはアレクサンドロス大王に征服された。その後プトレマイオス朝が成立し、ヘレニズム文化の中心のひとつとして栄えた。

紀元前30年、エジプトはローマ帝国の属州となった。ローマ帝国の統治下ではキリスト教が広まり、ローマ帝国の分割後は東ローマ帝国に属した。639年にイスラム帝国に征服され、ウマイヤ朝およびアッバース朝の一部となった。アッバース朝の支配が衰えると、トゥールーン朝・イフシード朝の短い支配を経て、969年 現在のチュニジアで興ったファーティマ朝になる。これ以来、アイユーブ朝、マムルーク朝とエジプトを本拠地としてシリア地方まで版図に組み入れたイスラム王朝が500年以上に渡って続く。特に250年間続いたマムルーク朝のもと、アラブ世界の外からやってきたマムルーク(奴隷軍人)による支配体制が確立し、1516年にマムルーク朝を滅ぼしたオスマン帝国でもマムルーク支配は温存された。

1798年、ナポレオンによるエジプト遠征をきっかけにエジプトは近代国家形成の時代を迎える。フランス軍撤退後、オスマン帝国の軍人ムハンマド・アリーがエジプト総督に就任すると、マムルークを打倒して総督による中央集権化を打ち立て、経済・軍事の近代化を進め、エジプトをオスマン帝国から半ば独立させることに成功。アルバニア系ムハンマド・アリー家による世襲政権を打ち立てた。

しかし、ヨーロッパ列強はエジプトの独立を否認。加えてムハンマド・アリー朝の急速な近代化政策による社会矛盾は結局、エジプトを列強各国に経済的に従属させることになった。1869年にエジプトはフランスとともにスエズ運河を開通させるが、その財政負担はエジプトの経済的自立に決定的な打撃を与え、イギリスの進出を招いた。1882年にアフマド・アラービーが中心となって起きた反英運動(ウラービー革命)もイギリスによって鎮圧され、エジプトはイギリスの保護国となる。

1914年、第一次世界大戦によってイギリスがエジプトの名目上の宗主国であるオスマン帝国と開戦したため、エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離された。その結果、大戦後の1922年2月28日にエジプト王国が成立し、翌年イギリスはその独立を認めたが、その後もイギリスの間接的な支配体制は続いた。

エジプト王国は立憲君主制をひいて議会を設置し、緩やかな近代化を目指すが、第二次世界大戦前後からパレスチナ問題の深刻化や、1948年から1949年のパレスチナ戦争(第一次中東戦争)でのイスラエルへの敗北、経済状況の悪化、ムスリム同胞団など政治のイスラム化を唱える社会勢力の台頭によって次第に動揺していった。この状況を受けて1952年、自由将校団がクーデターを起こしてムハンマド・アリー朝を打倒(エジプト革命)、1953年に最後の国王フアード2世が廃位され、共和制へと移行し、エジプト共和国が成立した。

1956年、第2代大統領に就任したガマール・アブドゥン=ナーセルのもとでエジプトは冷戦下での中立外交と汎アラブ主義(アラブ民族主義)を柱とする独自の政策を進め、第三世界のアラブ諸国の雄として台頭する。同年にエジプトはスエズ運河国有化を断行し、これによって勃発した第二次中東戦争(スエズ戦争)で政治的に勝利を収めた。1958年にはシリアと連合してアラブ連合共和国を成立させ、国名をエジプト・アラブ共和国に改称している(1961年に解消)。しかし、1967年の第三次中東戦争(6日戦争)は惨敗に終わり、これによってナーセルの権威は求心力を失った。

1970年に急死したナーセルの後任となったアンワル・アッ=サーダート(サダト)は、社会主義的経済政策の転換、イスラエルとの融和など、ナーセル体制の切り替えを進めた。しかし政治的自由化によってイスラム主義がかえって勢力を伸張させて体制に対する抵抗が激化し、サーダート自身も1981年にイスラム過激派のジハード団によって暗殺。副大統領から大統領に昇格したホスニー・ムバーラクは、対米協調外交を進める一方、イスラム主義運動を厳しく弾圧して国内外の安定化をはかるなど、開発独裁的な政権を20年以上にわたって維持している。

[Wikipediaより]

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