Luxor Westbank

ルクソール西岸・王家の谷編

 

 

 

 

死者の町と呼ばれるルクソール西岸観光は、メムノンの巨像から始まり、ハトシェプスト葬祭殿王家の谷と続きます。

メムノンの巨像 (ルクソール西岸)

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本来はアメン・ホテップ三世の総祭殿(テーベの都の神殿中、最大の規模)の前に据えられていましたが、ナイル川の洪水に侵食され、神殿が崩れてしまいました。
しかし、この二体の像だけは残ったそうです。

もとは単石(一つの石)で出来ていたという事が、
現在も左側の巨像から偲ぶことが出来ます。

向かって右側の像は紀元前27年の地震で崩れ、
紀元200年前後に古代ローマ皇帝が修復したものですので、左側のように単石の跡を現在見受ける事は残念ながらできません。

さて、名前の由来ですが、これはギリシャ神話に由来しております。

メムノンとは、トロイ戦争でギリシャの英雄アキレウスに殺されてしまったエチオピア王の名前で、殺された王は巨像となってテーベに現れ、毎朝母のエオスを慕って泣いたいわれております。

事実、この巨像は夜明けに低い音を発していたそうですが、ローマ皇帝による修復後から音がしなくなったといわれています。

※ルクソールは、エジプトの中央部にあたり、砂漠の真ん中に位置するため、日中と朝晩の気温差が激しいので、石の膨張によって通り抜ける風が音を発していたと解明されています。


 

ハトシェプスト女王葬祭殿 (ルクソール西岸)

ルクソール神殿の中庭の北にある聖堂。

女王の治世第7年に建てられ、エジプト人達はそれまでのテーベ西岸にあった「幾百万年もの神殿」の中でも最も堂々とした建物に対して「ジェセル・ジェセルー(崇高なものの中の崇高なるもの)」と呼び賞賛しました。

ここは文字通りハトシェプスト女王が建てたものですが、後にラムセス二世が修復し、装飾を施しました。

もし彼女を見たければ、カイロ博物館へ行けば彼女の頭部の像があるので参考までに最初に見てくるのもいいかも?です。

テーベ山を背景に建っている 列柱廊
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正面向左側の部屋 消された壁のカルトゥーシュ
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王家の谷 (ルクソール西岸)

古代テーベでは東岸は生者、西岸は死者の都として考えられていました。

自分の財宝を盗掘から守ろうとした古代のファラオ達は、ピラミッドでは守りが不充分であると考え、太陽の沈む西岸に安住の地を求めたのです。
なぜなら、当時の西岸は奥深い谷で覆われており、簡単には人々が近づくことは困難なように思われたのである。

しかし、どんなに砂で覆われた谷を深く掘って落とし穴を作ったり、墓に細工を凝らしてもやはり王墓を盗賊から守ることは残念ながら出来なかったのです。
62のファラオ達の墓がこの谷で確認されましたが、現在公開されているのはそのうちの数点だけです。

現在、王家の谷はカメラ・ビデオの持込が禁止となっております。
ツアーの場合は、バスの中に置いておけますが、個人で参加した場合は、入場券売り場で預けることが出来ます。


[観光]

絶対オススメポイント!!

■王家の谷の観光を始める際に、立ち寄る「ビジターセンター」内には、日本の鹿島建設が製作した王家の谷の全体模型図があります。

下から覗き込むと、現在発掘されている63全てのお墓の入口から内部に至るまで、どのような構造になっているかが分かりやすく見られますので、どうぞじっくりと見てからお墓に向かってください。

また、時間に余裕があれば、ツタンカーメン王墓が発見された時のビデオも常時上映されていますので、こちらもご覧ください(約5分)

このトロッコで、ビジターセンターから王家の谷へ移動します。

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■王家の谷の入口で各墓への[入場券]を購入します。

一枚の入場券で、三つのお墓見学が可能です。チケットは失くさないように気をつけてください。

※ツタンカーメンのお墓は別の入場券となります。
※ネフェルタリのお墓は、現在貸切のみ入場可能となっております。

 

 

 

 

 

[ラムセス九世のお墓]

お墓内部図 お墓入口
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お墓の内部に描かれた図 お墓内部の壁画
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お墓内部の天井 一番奥。ここに棺が安置されていた
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[ツタンカーメンのお墓]

8年間研究を重ねてきたイギリス人ハワード・カーターがツタンカーメン王の墓へ降りる階段を見つけたのは、1922年11月4日の事であったが、彼はスポンサーであったカーナヴォン卿の到着を待ち、実際に墓を開いたのは卿の到着した11月16日でした。

11月24日には卿立会いのもとに発掘を再開。
11月26日、カーター、卿、娘イヴリン、技師コーレンダーが第二の扉に穴を空け、唯一完璧な状態の王墓を発見したのである。

その後、カーターは発掘権をエジプトへ奪われ、彼自身エジプト政府によって作業チームから追い出されてしまうのですが、次々と出土してくる発掘品を前に、誰一人としてそれらの説明が出来る者がおらず、結局再度カーターは作業チームに引き戻されました。

反対に、カーナヴォン卿はと言うと、この発掘作業から帰国すると同時に原因不明の高熱にうなされ、最期を遂げたのです。

この事件は現代でも「ファラオの呪い」と一部では噂されています。
しっかりと科学でこじつけてる理屈も世の中にはあるんですが・・・~┐(~ー~;)┌
でも僕たち的には・・・「呪い」を信じたいと思う・・・( ̄┰ ̄*)

ツタンカーメンのお墓で発掘されたものは、ほとんどがカイロ市内にある「エジプト考古学博物館」の2階に展示されていますが、お墓の最奥で見られる石棺は、そのままオリジナルのものが残されております。

各墓前には、墓内部図の看板がございますが、そこに記載されている「KV○○」と書かれている番号は、発見順の番号となっております。

ツタンカーメンの墓内部図 お墓の入口 入場口
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[ネフェルタリのお墓]

(王妃の谷)

ラムセス二世が即位前に結婚したと言われている王妃。
多数の妻達の中でも彼女は尊敬され、常に重要な位置にいた。そして別格で王の寵愛を受けたと考えれる。それは、アブ・シンベル小神殿を王から捧げられた事や、王の外征や旅行の際には常に随行していたところからも彼女の立場の特異性が見えるのである。
1904年、イタリア考古学調査団により発見されたこのネフェルタリ王妃の墓は、既に古代時代に盗掘され何も残ってはいなかったが、壁面の装飾と絵画は、王墓の中でもひときわ素晴らしく、最高傑作と呼ばれるに至った。
その壮観な壁画は現代、全エジプトで最も美しいと賞賛されています。

ただ、残念な事に破損が激しく、見学者を限定しているため、どうしても見たい方には、入場料40万円で30分間公開してくれています。

[ラムセス二世のお墓]

第19王朝の最初の王ラムセス一世の子セティの息子がラムセス二世。
セティは治世末期に息子と共同統治を行い、一緒にヒッタイトと戦った。ラムセス二世は即位後も戦争を続け、その後和平条約を締結しました。

彼の67年の治世中には、莫大な数の建設工事が行われ、数百にのぼる彫像、多数の神殿が作られました。

また、既存のものに対しては拡張工事や装飾が施されました。
そして、ヒクソスの旧都デルタのアウアリスに新たな首都ピ・ラムセスを建設しました。

※2010年現在、閉鎖中

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ラムセス二世が王墓を作る時、以前ここに眠っていた王を嫌って壊した石棺の部屋

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ルクソールの町から(?)「王家の谷 ロバツアー」なるものが存在するようですが、
これは決してお勧めしません!
なんでかって?着くまでにお尻と腰が痛くなっちゃうからだよ~。
ロバってラクダより乗り心地悪くて結構弾むんだよねぇ… 


[民家]

昔は、このあたりを掘って、お墓が見つかるとその土地に家を建て、家の床から地下道を掘り、お墓を荒らしたそうです。

現在はアラバスター(光を通す大理石)などを加工し、土産物屋として暮らしているようです。

壁の穴にはハトが?!
食用鳩を飼育しているらしい・・・うっ、想像はしたくないかも・・・{{{{( ▽|||)}}}}

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左の写真の壁に描かれているのは、メッカ巡礼の様子。
右の写真に写っている石臼を使って、アラバスター(大理石)を加工します。

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