Citta di MANTOVA

マントヴァの街

ミラノから電車で2時間くらいの地方都市です。
駅から街の中心地へはタクシーで5分とかからないくらい小さな町ですが、駅から町を挟んでその向こうにはとっても綺麗な湖が3つもあります。
初めてこの町に行った時には、海水浴に来たらしい家族連れが結構たくさんいました。夏はヴァカンツァの季節だからね。

さて、この町を有名にしたのは、ヴェルディの「リゴレット」。
でも、このお話に出てくる「リゴレットの家」は、在るにはあるのですが、このお話自体がフランスのお話を置き換えただけなので、庭に道化の像があるだけです。
そのほかにも、「ロミオとジュリエット」で、隣町(かなり遠いけど)ヴェローナを追放されたロミオがジュリエットのベランダに忍び込んだ次の朝、ジュリエットに別れを告げて逃げていった先の都市としても有名ですね。

古代ローマの詩人ウェルギリウスは、マントヴァ近郊で生まれたとされていますが、彼のの説によると、ギリシア神話の占者ティレシアスの娘マントーによってマントヴァの街は創設されたと言われるほど、歴史は古く遡るそうです。
マントヴァという名は、エトルリアの神マントゥス(ギリシャ神話のハデス神相当)に由来しています。

紀元前5、6世紀頃、エトルリア人によって建設。
その後ガリア人の部族セノマニ族に占領されたのち、第一次ポエニ戦争~第二次ポエニ戦争の間の紀元前3世紀以降はローマ人によって征服されてつつ、発展していったそうです。
彼らはギリシャ神話の予言者ティレシアースの娘マントとマントヴァの名前を混同していたため、マントヴァと呼ばれるようになったようです。
そして、新たな領土には、アウグストゥス帝の退役兵士達が住み着きました。

紀元前70年、名作を数々残した古代ローマ最高の詩人ヴェルギリウス(Vergilius)がここで生まれます。
中世時代には、マントヴァは対立する党派間の多くの争いの場となりました。ドイツ勢力による支配などによって、町は荒廃。
1115年マティルダ伯夫人(Markgräfin, Matilda)の死によって、ドイツ勢力が衰えると1163年 ロンバルディア都市同盟に加入し、マントヴァは再出発をしましたが、1236年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって征服されました。
しかし、13世紀末、再度ドイツ勢力の衰退とともにイタリア豪族とドイツ側との間に生まれた抗争によって、リナルド・ボナコルシ(Bonaccolsi, Rinard)が皇帝ハインリッヒ8世の命により、帝国代官に任命され、マントヴァは初めてイタリア人によって統治されたのです。

1308年、ボナコルシ家当主グイド・ボナコルシの死に際に、一人の修道僧が彼に横領疑惑の真偽を問いました。
すると「確かに私は自分の館を飾るために公金を使った。しかし、それはすべてントヴァのためだったのだ」と答えたそうです。
「支配者の館」=その都市の力の象徴 ── とグイドは考えていたのです。
しかしながら、そう言い放った彼の造ったカピターノ宮殿はボナコルシ家の力の象徴にはなりえませんでした。
1328年、グイドの弟パセリノは、ゴンザーガ家が起こした反乱で処刑されてしまったからです。

こうして、14世紀には「マントヴァの総隊長」であったゴンザーガ家のルイージ一世によって、マントヴァは支配されるようになったのです。
ゴンザーガ(Gonzaga)一族は、見識ある君主で、芸術と文学の保護者でもあったので、15、16世紀には、マントヴァは北イタリアの中でも知的芸術性の高い主要都市となったのです。
ゴンザーガ一族は、本職は傭兵隊長でありながらも、子供に高度教育を受けさせたり、自らの屋敷の壁などを高名な画家を呼び寄せて描かせたりする一方、貧しい人々に土地を分け与え、橋を架けたり、芸術家を優遇したりと、立派な君主が多く排出した一族だったと言えます。

ルイージ・ゴンザーガ(Gonzaga, Luigi 1267~1360)によって作られた都市国家の基礎は、ルネッサンス期に入り、フランチェスコ・ゴンザーガ1世(1407~1444)が継ぎました。
フランチェスコは1392年、サン・ジョルジョ城(Castello San Giorgio)を着工する一方で、ドゥカーレ宮殿の壁を飾るためにヴェローナの画家、ピサネルロに依頼しました。サン・ジョルジョ城はわずか5年で完成しました。(この頃のゴンザーガ家の力がわかります)

1459年フランチェスコ一世の息子ルドヴィーゴ・ゴンザーガ(1414~1478)の代に、ピウス(ピオ)2世がマントヴァ召集を行ない、マントヴァは繁栄の一途を辿ります。
この時代、ペストの流行や洪水があったにもかかわらず、羊毛・絹の取り引きが繁盛し、人口は増大して4万人以上にも達しました。
教育に関して、男女平等・個人主義の考えをもっていたヒューマニスト、ヴィットリーノ・ダ・フェルトロの教育を受けたルドヴィーゴは、ゴンザーガ一門中、最も才能に恵まれた君主だったそうです。
行動人らしい熟練と決断、学者らしい感受性を備えたルドヴィゴは、29歳のアンドレア・マンテーニャ(1431~1506)を宮廷画家として永住させました。

マンテーニャは、レオナルド・ダ・ヴィンチを凌ぐとさえいわれた画家で、その精緻な写生と遠近法では定評があります。
マンテーニャは34歳のとき、「婚礼の間(Sala degli sposi)」を描き、北側は「宮廷」、西側は「出会い」と呼ばれています。
この絵の解釈は未だにわかっていませんが、枢機卿の次男の手紙(「宮廷」)と彼の迎えの図とか、長男の婚礼の図などとも言われています。

ルドヴィーコの孫にあたる?善政と芸術文人保護で知られるフランチェスコ・ゴンザーガ(Gonzaga, Francesco 1466~1519)、フランチェスコ二世は、フェラーラのエステ家の娘イザベラと結婚しました。
高い教養と芸術への造詣の深さ、聡明な彼女は、マントヴァの名声を高めるのに大いに役立った。彼女は方々に独自の情報員を派遣しており、当時のファッションの先端は彼女がリードしていたといっても過言にならないでしょう。
イザベラと彼女の義妹にあたる、ウルビーノ公に嫁いだエリザベッタ・ゴンザーガは、以後数世紀にわたって西ヨーロッパの社交界を支配することになる、文学的な「サロン」の創始者です。

イザベラとフランチェスコの息子フェデリコ二世は(1484~1519)、1530年にカール5世より公爵位を拝受します。
そして、その模様はティントレット(Tintoretto 1518~1594)によって描かれました。
フェデリコ二世は、ラファエッロの弟子で、建築家でもあり画家でもあった、ジュリオ・ロマーノGiulio Romano(1499~1546)を招き、マントヴァを美化し、ドゥカーレ宮殿を改装させ、テ離宮を建築させました。

「父は蔵をいっぱいにし、子は蔵を空にした」といわれる、“子”ビンツェンツォ・ゴンザーガの妻マルゲリータ・ファルネーゼは、マントヴァの悲劇の女主人公でした。
彼女は子どもができないことを理由に離婚を迫られ、宮殿を追い出される時にこう言い残したそうです。
「ゴンザーガの上に呪いあれ!」
その思いが通じかのように、ビンツェンツォは間もなく亡くなりました。
没後相続問題や財政難の内紛のさなか、マントヴァはオーストリア軍に囲まれ、敵軍の足音を聞きながら、マルゲリータは修道院で息を引きとったそうです。
事実上、ここでゴンザーガの本流の血は絶たれました。ビンチェンツォの跡を継いだのは傍系フランス貴族フランチェスコ(1612~1628)でした。

18世紀、マントヴァはオーストリア領となり、ゴンザーガ家は断絶、要塞都市となります。
1630年、ドイツ傭兵軍の行軍とペストの流行によって市は衰退。その後スペイン継承戦争でフェルディナンド公はフランス側についたが、結果は敗北。
公爵がオーストリアの反撃から逃れるために1707年領土を捨てヴェネチアへ逃亡したので、オーストリアはマントヴァを占領しました。
しかし、フランス革命時代、ナポレオンによってオーストリアの支配下からチサルピナ共和国に編入されました。しかし仏軍撤退後、再度オーストリアに返還。
時代を背景にオーストリアからの自由独立運動が盛んになると、マントヴァも同調し、1859年、サルディニアがナポレオン3世とヴィラフランカの講和を結んだ際、マントヴァはヴェネツィアに併合されました。そして1866年、サルディニア建設にかかるイタリア王国に併合。

…1900年。イタリア王国王ウンベルト1世が暗殺され、エマヌエル3世が即位したのです。

Borgia Memo

●ルクレツィアの恋人であり、義理のお兄さんにあたる(イザベッラ・デステの旦那さん)マントヴァ候フランチェスコは、領内のポー河に面したボルゴフォルテ(ドゥカーレ宮殿の事?)に、男児出産後25日で死亡してしまった我が子を想い、悲嘆に暮れていたルクレツィアを招待し、彼女は数週間に渡りここに滞在しました。

●当時28歳だったアレッサンドロは枢機卿として、時の法王ピオⅡ世のお供をして、この地で開かれた「マントヴァ会議」に出席しました。
その時、ただの田舎娘であったヴァノッツァ(チェーザレやルクレツィアの母親)と出合い、恋に落ちたそうです。

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