Piazza and Basilica St.Petro

サンピエトロ広場・サンピエトロ寺院

サンピエトロ広場・サンピエトロ寺院

■  サンピエトロ広場

40万人を収容できる楕円形の広場。
デザイン担当は17世紀バロック期を代表するベルニーニ。
中央には、37年にアレキサンドリア(エジプト)からカリギュラ帝がローマへ持ちかえって来た御影石のオベリスクが立つ。当時カリギュラ帝の競技場を飾っていたこのオベリスクは1586年、シクストゥス5世の命により現在の場所に据えられました。

柱頂には、聖十字架(キリストが張り付けとなった十字架)の聖遺物が保存されていて、当時、このオベリスク移動の際には、あまりの大きさ、重さに800人の人手と150頭の馬を要した上に作業完了するのに4ヶ月もかかりました。

広場周囲の回廊にはドーリア式の円柱284本が4重に配置され、その屋根にはベルニーニの弟子達による140体の聖人像が広場を見下ろしています。

オベリスクを挟む2基の噴水は、右側が建築家マデルナの作で、左側がベルニーニによるもの。
この2基の噴水とオベリスクの中間点に埋め込まれている白い大理石は、この楕円広場の焦点にあたり、この位置から両側の柱列を眺めると4本の柱が一本に重なって見えます。

バチカン広場では、たまに演説が行われますが、その時にはすっごい人混みとなります。
20万人近い人々がこの広場に入ることができると言われております。
VinoやNinoならどれくらいで埋まるのだろうか….?とふと考えてみたりして。

かの偉大な芸術家。ミケランジェロがデザインした制服を着たスイスの庸兵さん達によって、ヴァチカンのゲートは守られております。
VinoやNinoもあこがれてしまうほどです。かっこいいですね。。。。。クールで、笑顔ひとつ観光客には見せません。プロですね。

広場の左右一角には、バチカン郵便局があります。
そこでハガキや切手を売っているので、その場でメッセージをしたため日本へ送る観光客もいらっしゃいます。
記念にご自信へはがきを出してみるのもよいですね。

 1754年の広場1450年の寺院

 

Borgia Memo

(注:1656年に着工したこの広場はボルジア全盛の時まだ現在の姿にはなっていませんでしたが、一応広場としては存在していたのでcheckしてみました)

チェーザレ初陣勝利の凱旋の時、広場は柵で囲われ、その中に6頭の牡牛が放たれた。
それを鹿毛の馬に乗ったチェーザレが一本の槍と腰剣のみで全て倒した時、広場は6頭の牛の血で赤い海と化していた。

時はキリスト生誕1500年、復活祭に沸くローマにはヨーロッパ各地から巡礼に来た者達が押し寄せて来ていた。その巡礼者たちにとって、この光景は思わず目を覆いたくなるようなものであり、この3ヶ月後にヴァチカンに落ちた雷で法王が受けた2つの傷も神罰のように思われたのだった。
また、ここではボルジア家ゆかりの重要な人物が一人、血を流した場所でもある。
ルクレツィアの第二の夫、美男で南国の貴公子ビシュリエ公(ナポリ)である。
法王の看病に付き添っていた妻ルクレツィアと妹サンチャを訪問しに法王宮を訪れた彼は夕食を済ませた後、この広場を横切ろうとした。その時、数人の賊に襲われたが、間一髪馬の背に乗せられて連れ去られそうになった所を従者の呼びに行った衛兵が助けに来てくれた。しかし、その後彼はヴァチカン内でルクレツィア、サンチャの必死の看病と(暗殺者からの)防衛もむなしく、ドン・ミケロット(チェーザレの腹心)に殺されてしまった。 

■ サンピエトロ大聖堂

皇帝ネロの激しい迫害にあって、一旦ローマを逃れ出た聖ペテロは、アッピア街道でキリストの幻と会いペテロがどこへ行けばいいのか聞くと、キリストは「再び十字架にかかるためにローマへ」と答えた。ペテロは仲間を見捨てて逃げようとしている自分を恥じ、ローマへ引き返しネロの円形競技場で殉教し、この地に安置された。

324年  キリスト教徒となった最初の皇帝、コンスタンティヌス帝が墓の上に教会建立を決定、361年にバシリカが完成。
コンスタンティヌス帝は、それまで迫害されていたキリスト教をローマではじめて公認した皇帝でした。

―新約聖書マタイ伝より
「なんじはペテロ(岩)なり、われ、この岩の上にわが教会を建てん。黄泉の力もそれに打ち勝つことはなし。われ、なんじに天国の鍵を授けん。
なんじ地上でつなぐ事、天においてもつながれ、なんじ地上で説くこと、天においても解かれるであろう」
(マタイによる福音書16章18-19節)

に基づいたものと考えられていますが、昨今、大寺院地下にある歴代法王墓所のさらに下の部分から約A.D64年頃に逆さ吊りで十字架にかけられ殉教したペテロの墓と遺骨とみられるものが見つかり、1976年  法王パウロ6世はペテロの墓が実在したことが発表されました。

言い伝えによると彼はキリストと同じ格好で十字架にかかることを恐れ多い事とし、自ら望んで逆さに張り付けてもらったといわれています。
また、ペテロの像がいつも鍵を持っているのは、キリストから「天国の鍵」を授けられたという上記の記述によるものとされています。

ゲルマン、サラセンの侵略を重ね、その都度修復され、800年にはフランク王カール(シャルルマーニュ大帝)のローマ皇帝としての戴冠式が法王レオ3世によってここで執り行われたりもしました。
また、962年には、神聖ローマ帝国が成立すると、法王ヨハネ12世がオットー1世に初代皇帝の冠を授けました。

教会の分裂、法王のアビニヨン幽閉などの波乱の歴史を経てすっかり荒廃した教会を1503年、法王ユリウス2世は設計、監督をブラマンテに命じ寺院の大改修を決定しました。
(同時に法王ユリウス2世は、ラファエロに居室の壁画を、ミケランジェロにはシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせた)
以来120年あまり、法王20人、監督10人(ブラマンテ→ラファエロ→ミケランジェロ→ポルタ→フォンタナ→マデルナ)の手を経てようやく1626年11月18日、現在の姿のものが完成し、法王ウルバヌス8世によって神に捧げられました。
ちなみに、ベルニーニも内装には参画していました。

内部の彫像450体、柱500本、祭壇50個所、収容人員6万人。
世界最大であるとともにキリスト教史上最大の寺院です。
床には、世界の名だたる大寺院の大きさが「○○寺院はここまで」と記してあるあたり、笑えるので是非このマークをたどってみてください。

<サンピエトロ寺院の見所>

<ポーチ>
ポーチには5つの扉があり、一番左にある戸はジャコモ・マンズーによって彫刻されたブロンズの扉、中央扉は「青銅の扉」と呼ばれ、聖ペテロの殉教の様子を描いた浮き彫りがされている。一番右に大きな十字架が示された「聖なる扉」があり、ただ一人教皇だけが聖年(25年毎の大赦の年)クリスマスイブに開け、終わりに閉める権利を持つ

<身廊>
入口近くの床にある十字印のついた赤い円盤は、800年のクリスマスの日にフランク王国の皇帝シャルルマーニュが戴冠したと伝えられるところ。
また床に付けられている印によって、世界の他の大教会と大きさを比較することが出来る。

<ピエタ像>
十字架から降ろされたキリストをひざに抱き嘆く聖母マリアの大理石像。1499年から1500年にかけ、当時若干25歳だったミケランジェロの作。
マリアの飾り帯のところにミケランジェロ本人による署名が見られるが、これは、当時この作品があまりにすばらしい出来栄えだったせいか、「ミケランジェロ本人による作品ではない」との噂が立ち、それに立腹した本人がムキになって入れたらしい。
現在では、現存する彼の作品の内でただ一つの署名入りのものとなった。1972年、一人の心無い男が聖母の手の一部を破壊するという事件を起こしたため、現在は防弾ガラスのケースに収められている。

<グレゴリウス13世の墓碑>
この教皇が改暦して作ったグレゴリウス暦制定の様子を表した浅浮彫が彫られている。

<クレメンス13世の墓碑>
右袖廊のすぐ先。カノーヴァによる新古典主義の作品。

<聖ペテロの座>
後陣にあるベルニーニの作品。彫刻を施したブロンズの大きな高座で、象徴的に聖ペテロのものとみなされている。金色のスタッコ(化粧漆喰)で出来た「光背」をいただいている。

<ウルバノ8世の墓碑>
右の後陣にあるベルニーニによる墓碑芸術の傑作。

<パオロ3世の墓碑>
左の後陣にあるミケランジェロの弟子、グリエルモ・デフェラ・ポルタによる作品。

<聖大レオ祭壇>
内陣左にある礼拝堂。内部にはアルガイドによる高浮彫りでバロック様式のレターブル(祭壇飾)がある。

<アレッサンドロ7世の墓碑>
祭壇隣。弟子達の助けを借りたベルニーニの後期の作品で、極めて動きに満ちた作品。

<天蓋>
内陣中央。
ファルネーゼ宮殿と等しい高さ(29m)で、ベルニーニに対して激しい批判が浴びせられるもととなった。パンテノンから取って来られたブロンズで作成され、大げさな技法であると非難されたこの天蓋は、この建物の中にあっては完全に溶け込んでいる

<法王の説教壇>
天蓋の下が法王専用のミサ祭壇になっている。さらにその地下に「ペテロの墓」があるらしい。

<法王の地下墓所>
8時~18時(10月~3月は17時まで)
法王説教壇手前右側に入り口がある。
ここでは、歴代法王の墓の一部を見る事ができる。

<クーポラ>

ミケランジェロによる設計。
クーポラ8-日没     エレベーター:L6,000
ミケランジェロ作のこのローマ最大のドームには、周りにラテン語でキリストがペテロに与えたマタイ伝の言葉「なんじは~」が彫り込まれている。

エレベータで途中までは行けるが、その先は537段ものらせん階段を昇らなければならない。ただし、ここの一番上の明かり窓からの眺望は一見の価値あり。

<聖ペテロの像>
身廊上部。アルノルフォ・ディ・カンピオが13世紀に作成したブロンズ像。巡礼者達は皆この像を大変崇拝し、足に接吻し手をついて拝みに多くの人々がやってくる。

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