もともとは古代ローマ皇帝の一人であったドミティアヌス帝が作った屋外競技場がここにあったのですが、ローマ帝国滅亡後の長い中世の時代に人々がその遺跡を住居に造り替えて行きました。その結果、ちょうど競技場の観客席にあたる部分が住居に変わり、競技をする場として使用されていた真ん中の長い楕円形の空間が現在のナヴォーナ広場となって、残ったのです。
「ナヴォーナ」の名の由来は二つあり、一つは法王の即位等大きな祝事があった時、この広場に通じる5本の路全てが柵で閉鎖され、柵の内側にテヴェレ川の水を引込んで海戦遊びなどをしたことから、海軍や海戦にちなむ「ナヴォーナ」と言う語に由来しているという説と、もう一つは古代ローマの言語であったラテン語で「競技」を現す「アゴネス」という言葉が変化して「ナヴォーナ」となったという説です。
広場中央には、3つの噴水があり、中でも特に有名なのが、17世紀にベルニーニが作った彼の代表作の一つでもある「4大河の噴水」です。
4大河の噴水
バロック彫刻の傑作と言われ、世界の4大河川であるドナウ、ナイル、ガンジス、ラ・プラタを擬人化した男性の彫像が台座中央にオベリスクとして飾られています。
「ガンジス」は水の豊かさをオールで示し、「ナイル」は頭に布をかぶり、左手をあげて顔をかくすようなポーズをとり、その神秘性を表しています。「ラ・プラタ」はコインを脇に抱えて豊かさを表し、こちらもナイル同様に左手を伸ばし、何かから身を守るような格好をしています。そして、「ドナウ」はオベリスクを見上げた格好をしています。
さて、この4大河の内、ラ・プラタとナイルには当時市民の間で一説の噂がたちました。実はこの噴水の正面に建つ聖アニェーゼ教会の正面の設計を手掛けたのがベルニーニの不仲のライバルであったボッロミーニだったのですが、このボッロミーニの設計に対しベルニーニが“見るに耐えない”と皮肉って、「ナイル」の頭に布をかぶせ、「ラ・プラタ」には“今にも倒れかけてきそうだ”と手をあげさせたと当時は噂されたのです。
しかし、教会の正面部分は噴水が完成した数年後に建てられたので、後世の作り話だという可能性が大きいようです。
ただ、この二人が相当なライバル意識を持っていた事は事実です
また、他説では、水源が不明なことを意味(表現)しているとも言われています。
「ネットゥーノの泉」 と 「モーロの泉」
4大河の噴水を挟んで北側には16世紀末に造られた「ネットゥーノの泉」があります。
(中央に立つネプチューン像と周りのトリトン像は19世紀のものです)
南北の泉は、もともとローマでも有名な泉の建築家デッラ・ポルタが作ったものなのですが、ちょうど4大河の泉のある場所に家畜用の水のみ場があり、それも含めて広場を改修し、権威を誇示したいというインノケンティウス10世の意思に沿って1653年にベルニーニが改修しました。
4大河の南側にあるのが「モーロの泉」です。
しかも、この南北の泉は本来教皇お抱えのボッロミーニが設計するところをベルニーニが友人のツテなどを使って上手に立ち回って手に入れた仕事だといわれています。
ナボーナ広場の近くにある現在レストラン「パンクラッツィオ」がある場所は、B.C44年、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が有名な「ブルータスお前もか!」という言葉を残して元老院議員数名に殺された場所ですので興味のある方は是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
(この元老院議員の中に親友のブルータスがいました)
NOSTRA SIGNORA DEL SACRO CUORE ノストラ・シニョーラ・デル・サクロ・クオーレ教会
もともとは12世紀にカスティリアのフェルディナンド三世の息子エンリコ王子が建てたものですが、1450年にサン・ジャコモ・デッリ・スパニョーリを建てた事で知られる、スペインの司教アルフォンソ・パラディナスがスペイン国教会として改築しました。
当時この教会の横に、スペイン巡礼のためのホスピスがあったので、そのために建てたとされています。1485年にパラディナスが逝去すると、遺産は全てこの教会に遺贈されました。
この教会の運営費用はスペイン人からの寄付によって収入を得ているそうですが、かなり富裕な教会らしく、内部には数々の祭壇があり、主祭壇が正面に一つと左右に数個づつあります。
また、誠か否かは定かではありませんが、教会正面扉の装飾はベリニーニが担当したそうな?
1日に一時間づつ、ミサに合わせて朝と夕方の2回しか扉は開きません。
ナボーナ広場側からも入ることは出来ますが、正面玄関はCorso del Rinacimento27になります。
神父様から表にマリア様が、裏には教会の由縁がつらつらと書かれた栞と表裏にマリア様と聖人の刻まれたペンダントトップを頂きました(^^v)



















