217年、カラカラ帝によって完成された浴場群の跡地です。
6世紀までは、きちんと実用されていた壮大な浴場で、現在でいうところの複合施設の遺跡です。
広さ11ha以上の広さを持ち、一度に1600人もの人々が当時は入れたそうです。
当時の人々にとって、こういた浴場は人々の社交場として人気でした。
しかし、キリスト教徒から「売春・飲酒・賭け事」などをする場として非難を受け、衰退していくのです。
そして、6世紀には異民族の侵入により浴場は閉鎖されました。
1887年から1914年のローマの遺跡を保護する目的で計画されていた、「考古学の散歩道」建造の最大のハイライト箇所だったのですが、1920年代に歩行者用道路が(現在高速道路になってしまっている)エウル方面に作られてしまったため、計画は断念しなければならなくなりました。
当時、外壁に囲まれた緑地には、運動場や図書館などいろいろな施設がありました。
そして入口は、現在の入口の反対側にあったそうです。
それを踏まえて、見学すると、楽しさも増すかもしれません。
脚力に自信があれば、僕達も当時の入口まで回って見学をスタートするんだけどね。。。。(汗)
当時の高温浴のための直径34mの円形で出来たカルダリウム室では、現在もオペラの上演が時折行われています。





